香港フィルの新季プログラム
今年はベートーベンの生誕250周年というクラシック音楽において大きな節目ですが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で人類の生活は大きな影響を受け、今春の香港芸術節(香港アートフェスティバル)や香港フィルをはじめとする香港の楽団の定期コンサートもすべて中止となりました。そして香港にかかわるさまざまな世の中の動きが現在進行形で私たちの心を揺さぶっています。
これまで歴史的な大事件の折にもベートーベンの音楽は奏でられてきました。1989年11月9日、世界中の目がテレビの生中継に釘付けにされたベルリンの壁の崩壊が起きました。東欧の人々が抑圧から自由になった解放の象徴のお祝いとして、翌12月25日に東西ベルリンを管理していた米英仏露の4カ国のオーケストラメンバーと東西ドイツのオーケストラメンバーが1つのオーケストラになってベートーベンの交響曲第9番を演奏しました。その際、第4楽章のシラーの詞「歓喜の歌」の「喜び」(Freude)という歌詞を「自由」(Freiheit)と指揮者のバーンスタインは変更しました。
それをさかのぼること40余年、1945年10月6日、第二次大戦が終了して、ウィーンではアンデアウィーン劇場(ベートーベンの指揮で交響曲第5番と第6番、超有名な「運命」と「田園」が初演された由緒ある劇場)で初の演目としてベートーベンのオペラ「フィデリオ」が演奏されました。
また、大戦で破壊されたウィーン国立歌劇場(世界一のオペラ劇場)が復活して1955年11月5日の初日に上演された演目も「フィデリオ」。それは録音され今はCDで聴けますが、指揮者カール・ベームの燃えに燃えた演奏は感動的です。「フィデリオ」はベートーベンの唯一のオペラで支配者の圧政に反抗し、自由を追い求めて最後には獲得するという力強い主題のオペラです。
晩年に「第9」初演で大成功
このたびのコロナ禍で自粛中によく議論されたことの1つが、音楽は「不要不急」で重要なことではないのか? 「No Music, No Life」というタワーレコードの宣伝文句は真実ではないのか? ネットで何でも聴ける時代になって、必要ならばCDを注文すれば聴ける音楽。しかし、それを作る音楽家の生活の糧を考えなければ新しい音楽は生まれてこないということも歴史的な事実です。
実はベートーベンが音楽史上でも、自分で作曲して演奏会を開いて興行収入で生活を志した初めての音楽家なのです。それまで、例えばモーツァルトもハイドンもバッハも、皆、貴族や皇室、教会の契約音楽家として定期的にお金をもらって生活を保証されていたのです。もちろんモーツァルトのように使いすぎて借金まみれというケースもありましたが…。
ベートーベンが偉いのは、音楽だけではなくて経済的にも自立して芸術的には自由に活動したことです。もちろん現代と違いますからパトロンの貴族を見つけたり(そして曲を献呈)、家庭教師をやったり、コンサートを開催したり、お金の苦労はいつの時代も同じだったようです。
晩年、大成功した「第9」の初演のコンサートでもベートーベンは期待よりも自分への手取りの収入が少なくて、打ち上げの食事会で怒りを爆発させてしまったのだとか。初演から16日後に同じウィーンで「第9」を再演しましたが、行楽日和の日曜日の昼の12時半に開演としたため演奏会場の客席は半分にも満たず、赤字を出してしまう始末。これはベートーベンにはかなりショックだったようです。「第9」は芸術的には初演でも成功したのに、興行的には赤字で終わったようです。ベートーベンにとって経済的安定は終生追い求めたステータスでした。
心身を癒やす名曲「田園」
そしてコロナ禍の今年、厳しいシーズンの開幕は香港フィルの音楽監督を務めるヤープ・ヴァン・ズヴェーデンの指揮でベートーベンの音楽の真髄が奏でられます。香港フィルの今季の正式なオープニングコンサートは、10月23日と24日のオール・ベートーベン・プログラムです。23日の交響曲第6番「田園」と24日のアンネゾフィームッターのバイオリン独奏のバイオリン協奏曲と交響曲第8番がお薦めです。
自粛生活で疲れた心身を癒やすには、やはり「田園」でしょうか? ベートーベンの自然、平和への愛の讃歌、しかしその状態に至るまでの「嵐や稲妻」の経験を経ての自由を謳歌するような平和な調べは、やはりベートーベン音楽の通奏低音的テーマである自由を歌い上げていると思います。
バイオリン協奏曲は1曲のみの作曲ですが、歴史上の全バイオリン協奏曲を代表するような堂々として神々しさも感じさせる壮大な音楽です。それでいて聴いていてやはり鼓舞され、いわゆる元気をもらえる音楽でもあります。
交響曲第8番は後期としては小ぶりな曲で、軽妙洒脱という言葉がふさわしい25分程度の長さの曲です。元気の源で全曲にわたってエネルギーが詰まっている音楽です。
音楽を享受できる喜びを
今季は、10月23・24日の正式なオープニングコンサートの前に2回、同様にズヴェーデン指揮によるオール・ベートベン・プログラムのコンサートがあります。10月2日と3日は、「レオノーレ」序曲第2番と交響曲第9番、つまり「第9」。「第9」の演奏会は、やはり新型コロナウイルスの影響で演奏会を開けなかった音楽家と音楽を聴けなかった聴衆が、この「歓喜の歌」で音楽を享受できる喜びと自由を共有できる演奏会になるでしょう。合唱団は香港フィルと台北フィルハーモニーの合唱団の共演となります。
10月15日と17日のコンサートは、チケットの争奪戦になるかもしれない、今季の目玉のコンサートです。ベートーベンの唯一のオペラ「フィデリオ」をコンサート形式で上演するのです。香港フィルが以前、ワーグナーの「指輪」全曲で大成功したときと同じ手法で、このコンサートもナクソス社が実況録音します。「フィデリオ」は、自由を求めて苦悩して、最後に獲得するハッピーエンドの作品です。ベートーベン自身が作曲したオリジナルのオペラは初演が失敗、書き換えを要求され、第2版を作成して新しい序曲も作曲。しかし、それも数回しか演奏されずに、さらに第3番目の改訂版が現在の最終形になりました。
このオペラは自由を高らかに歌い上げる祭典的で祝典的なオペラとして演奏されていますから、今回の香港での香港フィルの演奏にはこれ以上にふさわしい音楽はないかもしれないと思います。
一方、12月23日のズヴェーデンの誕生日のコンサートではベートーベンの交響曲第5番、翌2021年1月のコンサートではベートーベンの交響曲第3番を演奏します。
今季はズヴェーデンのベートーベンを追いかけて、内面的な充実感と自由への希求の心をさらに養ってください。(文中敬称略)
※新型コロナウイルスの影響など社会情勢によっては公演が予告なく変更されることがあります。コンサートに関する最新の情報は香港フィル公式サイトなどでご確認ください。
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