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哲学エッセイ 風土

アメリカ的風土

和辻哲郎に『風土』という著作がある。英訳では『Climate』となっているが、「風土」とは気候だけではなく、その土地の気候・文化・歴史などのありさまである。 地球規模の「気候変動」(climate change)はもちろん、身近な風土変化(fūdo change)にも注意を払う必要がある。

ドナルド・トランプ氏が米大統領に再就任して1カ月となった頃、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)へ出張することになった。今回の目的は研究発表ではなく、スタートアップの立ち上げについての研修にあった。文系の産学連携は理工医学系より難しいとされているが、例えば対話型AIを用いて博物館の展示を進化させたり、地域の課題を解決したりするポテンシャルがあると私は考えているが、ピッチ(投資家に対して行う短いプレゼンテーション)の技法や市場規模をAIで調べる方法などを学んだ。

校内見学のとき、ある日本人留学生から言われた。日本の大学では教授が研究室を率いることが一般的だが、UCSDでは複数の指導教員と院生が共同研究室で研究を行うため、パワーハラスメントが起こりにくい体制になっているという。たしかに、UCSDのキャンパスには海外からの研究者や留学生が多く、活気があふれるような気がした。

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UCSDの工学研究教育棟「フランクリンアントニオホール」

さて、「アメリカ的風土」とは何か。和辻哲郎は『倫理学』のなかで、これはヨーロッパからの植民と離して考えることができないと主張している。具体的にいえば、「メキシコやペルーはしばらくおいて、現在世界の中心としての意義を獲得している北アメリカの地は、三百余年前には一面に巨大な森林や広漠たる大草原プレーリーであった。しかもこの地はヨーロッパと異なり、モンスーン地域と同じく大陸の東南側にあって、同じように暑熱と降雨に恵まれている。だから森林の樹木は恐ろしい大きさにまで成長し、プレーり一は丈余の草に覆われていた。そういう自然のなかでアメリカン・ インディアンは、わずかなとうもろこしの畑を作るほか、森や草原に獣を狩りして暮らしていたのである。」この新世界に、やがてヨーロッパからの植民者がやってきた。「最初イギリス人のたどりついた東海岸でさえそうであった。そこには一面に森林があり、森林の間には不健康な沼沢地があり、夏は熱帯地方のごとく若く、冬は寒帯地方のごとく寒かった。その上季節の変化や気温の変動が激しく、ヨーロッパとは比較にならないほど荒々しい気候の土地であった。だから最初のころの移民たちは一年の間に半ば以上死んでしまったといわれている。」

植民者にとって、このままの風土では生き残ることができない。「しかるにヨーロッパの的人間の自発的合理的な性格は、アメリカの風土を変えることによっておのれ自身の風土的性格を変える道を見いださしめた。」たとえば、森林を焼き払って湿気や霧に抵抗し、それでも快適に住むことができない場合は他の場所に移勒した。また、健康な土地を作ったり衛生法を編み出したりすることによって、風土も人間も変えることができた。「従ってアメリカ的人間とアメリカ的風土とは相連関して成立したといってよい。それは努力の内容からいえば北アメリカの土地の開拓であった。アメリカ的人間は「開拓者」にほかならず、アメリカ的風土は「開拓された風土」である。他の地域におけるごとく知られざる太古以来の知られざる開拓の集積ではなく、自覚的になされた開拓が具象的に景観となって現われている風土なのである。」

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インキュベーション・開発・デザイン・起業をサポートする「デザイン&イノベーションビルディング」

この冬は東京では降水量が非常に少なかったが、サンディエゴでも半年以上雨が降らなかったという。しかし、風土は気候と等しくない。アメリカ的風土と日本のモンスーン型風土には、根本的な違いがある。「メキシコ湾はインド洋や太平洋のように広くはないけれども、それでも熱帯の海の湿気を運ぶ暴風をミシシッピの大平原へ吹きつけてくる。この平原にはさえぎる山脈もないので、上陸した暴風ははるかに大湖地方へまで吹きぬけるという。世界第一の大河ミシシッピはこういう気候の具体的な姿である。かかる自然の威力に対しては、モンスーン的人間ならば、ただ受容的忍従的な態度をとるほかはなかったであろう。」しかしアメリカ人は自然を徹底的に認識し、その威力に抵抗する仕方を見いだした。機械の発明が重要視された結果、あのプレーリーでも耕作機械の発明によって開拓され、広大な農産地域となった。また、東部の山地には炭田や鉄鉱が見つかり、工業地域として開拓されたのである。

さらに、和辻はこう述べている。「こういう開拓者の国土においては、中央ではなくして辺疆が重要な意義を帯びてくる。アメリカの偉人はいつも辺疆地方から出たといわれている。ワシントンは西ヴァージニアを測量し発見し征服し開墾した人である。フランクリンもペンシルヴェ二アの奥地を探検し征服し経営した。リンカーンはミシシッピへの植民者の子、開拓者の町の弁護士であった。かく辺疆がアメリカ的人間の尖端であるということは、アメリカ的人間が開拓者であるということにほかならない。開拓者は新しい土地を征服しつつそれに順応する。新しい土地の規律に従い、その土地の特殊な季節のリズムを受け容れる。その限り受容的であるが、しかし忍従するのではなくしてあくまでも対抗的戦闘的である。しかもその戦闘は、自然の法則の認識によって、すなわち合理的に、機械力によって行なわれる。そうしてみれば、ア

メリカへ移住した自発的合理的な牧場的人間は、モンスーン的及び沙漠的性格を獲得することによって、アメリカ的人間となったのである。」

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次世代のグローバル人材を育成するUCSD

かつてスペイン領・メキシコ領という時代もあったサンディエゴはアメリカの国境の南ではあるが、偉人を輩出するとは言い難い。ところが近年、この基地の街は軍事産業からサイエンス産業の街へと発展し、多くのスタートアップが起業されている。これから強硬な移民政策が推進されても、サンディエゴに多様な人材がいることは変わることがないと私は確信している。

【筆者紹介】

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張 政遠
香港生まれ香港育ち。東北大学に留学・博士号を取得。専門は日本哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。東アジア教養学の理論や演習などの授業を担当。著書に『西田幾多郎』(単著)、『日本哲学の多様性』(共編著)など。趣味は「巡礼」すること。

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