ウクライナへのロシアの侵攻が4年目を迎え、日本に避難していたウクライナ人出身のオレクサンデルさんが、ヨーロッパへ帰ることになった。都内には3年間くらい住んでおり、日本語を勉強しながら研究や教育の仕事に携わっていたが、言葉の壁を感じており、そして、停戦の兆しすら見えず、たとえ停戦が実現したとしても、恒久的な平和は訪れないと考えているからである。
1991年にソ連から独立したウクライナの国旗は、「青い空」と「黄色い麦畑」の風景を表しており、私はそれが「風土」の美的表現であると言いたい。残念ながら、ウクライナの美しい風と土は、灰色の空と血に染まった戦場と化してしまった。居住域だった場所が非居住域になってしまい、何百万人もの人々が余儀なく故郷を離れざるをえない。
ウクライナに言及した日本の哲学者がいる。和辻哲郎は『風土』という本の中で、モンスーン・沙漠・牧場という風土の三類型を挙げているが、『倫理学』ではアメリカの風土とステッペ的風土という二類型を追加した。「ステッペ」(степь )とはロシア語で一般的に乾燥地域における草原地帯を指しており、またはロシア南部からシベリアや蒙古を経て太平洋に至るまでの広大な草地や森林地帯を指している。和辻はアメリカもステッペも「開拓された風土」と論じているが、アメリカとは異なり、ステッペは古代以来幾度か世界史の舞台となったのである。
たとえば、ジンギス・カン(1162ー1227)は蒙古のステッペの出身だったが、未曾有の大帝国を作った。キーウ(キエフ)もかつて蒙古人の支配の下に立ったが、「ウクライナ地方」について和辻はこう述べている。「ロシアに住む東スラヴ民族は、もともと草原に近くウクライナ地方に住んでいたものであって、非常に古くから農業を営み、牧畜を知らなかった。その農業は森林を伐り倒して焼き、その灰の上に穀物を蒔くという伐木農業であった。それは一年役立つだけで翌年はさらに新地をつくらなくてはならない。従ってこの農業は年々に草原を押しひろげ、そのひろがるに従ってスラヴ人は北に移った。あとの草原には牧畜を心得た民族が入りこんで、スラヴ人をますます北へ圧迫した。このスラヴ人は草原を作ることには貢献したが、草原的民族ではなかったといわなくてはならない。」
和辻によれば、蒙古人の侵入と支配がロシアの国家形成のきっかけであった。「この期間にモスクバがロシアの首府となり、蒙古語でクレ厶ルと呼ばれる城が築かれたり、また蒙古軍の手でそのモスクバが焼かれたり、いろいろな事件が起こるのであるが、結局蒙古人をロシアの地から追い払い、ロシアの自由を回復するのが、ロシア人の最大の仕事となった。」十五世紀末にロシア人が蒙古人を打倒した後、シベリアに遠征し、カムチャッカにまで到達していた。「以上の経緯から見てロシアのシベリア開拓が蒙古人のロシア征服と決して無関係でないことがわかるであろう。いずれも草原的統一であり、またいずれも人口過剰や生産の不足などに押し出されたものではない。限りなく遠く遠くとひろがっている草原が人間存在の内容となっていれば、人間はこの無限に連続的な統一にかかわらざるを得ないのである。」
ロシア人の草原的な性格とは、まさに「ほとんど先天的ともいうべき土地拡大の要求」にほかならない。具体的には、「ロシア人は草原をつくり、また草原に入り込むことによって、草原的性格を習い取ったのである。そこでは一方にこの単調な広い土地に対応した比類のない辛抱づよさが目立っている。それはまさに極度に忍従的であると言ってよい。しかしそれはあふれるように恵みを与える自然とのかかわりにおいて現われるのではなく、きわめて乏しい自然、ただ広さによって乏しさを補っている自然とのかかわりにおいて現われる。」
注意すべきは、ステッペの風土は沙漠の風土ではない点にある。「その自然は沙漠におけるように死であり敵であるのではなくして生であり味方である。だからその能動性は単純に敵対的ではなくして融和的である。ここに辛抱づよさと結びついた、受け身の、退却によって勝つというような、独特な戦闘的性格が現われてくる。もちろんそこには爆発、突進というような契機が欠けているのではない。草原地域の短い夏は、農耕労働を爆発的ならしめ、人間の感情生活にもそのような性格を与えた。しかしそれが辛抱づよい忍従的な生活に服属しているのでなければ、長い冬をしのいで行くことはできないのである。」
ウクライナという名称は、「辺境」や「国境」を意味する「クライ」に由来するが、キーウはただの「草原」や「僻地」ではなく、9世紀末に「キーウ・ルーシ」(Kievan Rus)の成立に伴いその首都となり、12世紀まで繁栄した。ロシア人は、ウクライナの首都キーウを中心とするこの正教会の公国をロシア人とウクライナ人の共通の起源と見なしているが、キーウ・ルーシは明らかに18世紀に建国したロシア帝国より古く、「ルーシ」と「ロシア」と混同すべきではないとウクライナ人は考えるはずである。
ウクライナの風土はステッペ的であっても、ロシア的ではない。これは、ウクライナを理解するうえで非常に重要な指摘であると思われる。
写真:オレクサンデルさんの故郷(2021年)
【筆者紹介】
張 政遠
香港生まれ香港育ち。東北大学に留学・博士号を取得。専門は日本哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。東アジア教養学の理論や演習などの授業を担当。著書に『西田幾多郎』(単著)、『日本哲学の多様性』(共編著)など。趣味は「巡礼」すること。

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