レイ・ウォンの二胡コンサート 11月1日開催
王憓(レイ・ウォン)紹介
胡弓の音楽家で、作曲家。国宝級二胡の大家王国潼(ワンクオトン)氏の息子。父親の指導のもと3歳で二胡に触れ、5歳で正式な音楽教育を受け始めました。続いて中央音楽イン付属小学校、および中高に合格、父の自慢の教え子である趙寒陽(チャオハンヤン)先生の下で二胡と学ぶと同時に劉明源(リュウミンユアン)先生など有名な先生の下で様々な弦楽器を学びました。王憓(レイ・ウォン)は父親の豊かな胡弓の技術を継承し、かつ多くの種類の胡弓をマスターしたうえで、たゆみなく革新を続け、自己の芸術の道を切り開き、多くの才能のある胡弓音楽家となりました。
王憓(レイ・ウォン)はそのオリジナル作品によって、国際的な音楽祭で数多くの支持者を得て来ました。彼は、アメリカ・ロシア・ウイーンや東南アジアなどの世界各地に足跡を残し、世界への巡回公演中に、国際音楽祭で多くの称賛を得ています。彼は伝統を現代へもたらし、数多くの聴衆を魅了するオリジナルレコードアルバム『夜曲』、『雪花飄(雪が舞う)』などを録音し、代表作品には『離郷別井(故郷を離れて)』、『圓夢(夢見て)』、『爲了愛(For you)』、『山水響(山水の響き)』》など200曲に及ぶ作品があり、全世界でトップの創作・演奏量の二胡演奏家です。
王憓(レイ・ウォン)の『秋意濃(深まりゆく秋)』は1998年香港作曲家及び作詞家協会から「現地の正統派音楽の中で最も幅広く演奏された曲賞」を送られ、『爱的路上你和我(愛の道の上の君と僕)』は日本の軽井沢愛の歌賞最優秀曲賞を受賞しました。彼の演奏および、音楽は広く映画やテレビのバックグラウンドミュージックとして使われ、その中にはジャッキーチェン『醉拳2』や、周星馳(チャウシンチー)の『白面包青天(広州殺人事件)』、『唐伯虎点秋香(詩人の大冒険)』、テレビドラマ『聊斎(聊斎志異)』などが含まれています。
王憓(レイ・ウォン)の他にない『都市の二胡音楽』は新しいスタイルをかかげ、現代・民主・文化といった多くの方面との接触を音楽の中に溶け込ませ表現し、その享受という角度から大衆に二胡の音の美しさと細やかな旋律を味あわせ、香港の中国音楽文化に新しいシーンをもたらしています。
王憓(レイ・ウォン)は現在、香港二胡芸術センターの主席、香港芸術パフォーマンス団の音楽総監督、王朝娯楽の副社長、および王朝会会長を務めている。また20年来、香港演芸学院、香港浸会大学、香港大学および香港中文大学で教え、数多くの音楽人材や二胡愛好者を育てて来ました。王氏は教育、演奏、創作の以外の仕事として、『二胡高胡曲集』、『王憓二胡作品選』、『王憓二胡流行金曲選』、『二胡経典名曲――広東音楽篇』、『二胡流行金曲150曲』などの教材を編纂し、二胡芸術の普及に貢献しています。
2006年には中華人民共和国教育部・文化部から「二胡専門優秀指導教師賞』を授与されました。2017年にアジア太平洋文化創意産業総会から「香港文化創意産業大賞」をも受賞しています。2015年には黄凱芹(ホアンカイチン)、関淑怡(クアンシュクイ)のそれぞれと行った「此時情音楽会」および『感觉.国楽(感じる・伝統音楽)』音楽会で、初めて国際音楽祭における二胡と流行音楽の特別コンサートを行った。
王憓(レイ・ウォン)は教育、演奏、音楽の創造という多方面にそれぞれ業績を残し、さらに香港の中国西洋文化融合の音楽の上にも、たゆみないチャレンジを革新を行い、音楽の新しいランドマークへ導いていこうとしている。
『岩手夜曲』この曲は3·11東日本大震災を悼んで作られたものです。まるで絵のような景色、人の心に残る夜の岩手。一切は遠くのものとなっても、そのあとはまだ残っている。私たちは未来に向かって、積極的に、楽観的に、互いに手を取り、美しい故郷をともに再建していきましょう。
王憓(レイ・ウォン)氏と「都市の二胡音楽」
菊池 英明
王憓(レイ・ウォン)氏の二胡音楽は、独特なスタイルを持ち、その特徴は「心地よさ」と「弾きやすさ」にあります。心地よさと言うのは、誰が聞いてもわかりやすく、しかも心に喜びが生まれてくるということ。弾きやすさとは、指弓(弓さばき)や指法(指運び)が合理的で自然、そのために「両順(弓と、指運びの2つが揃ったなめらかさ)」の境地に達しています。つまり曲の芸術的境地が人の心に寄り添い、演奏するときにも調和がとれているです。この両順(2つともなめらかである)と言うのは本当に容易なことではありません。聴衆が望む、偽りのない高い水準なもので、故意に難解さをひけらかし、聞き苦しく、弾きにくい作品と比べると天と地の差があります。
清らかさ・しなやかさ・穏やかさ・新鮮さ、そして都会的な洗練されたエレガントなスタイルを備えていることが王憓(レイ・ウォン)氏の二胡音楽の最大の特徴です。「清・淡・雅」つまり清らかで、爽やか、そして優美ということが彼の音楽の基調なのです。こうした風格と特徴は二胡美学における革新であり、二胡音楽の格調の高さを引き上げています。そのためその音楽は時代の発展にマッチし、私たちは彼のこのような革新的な二胡音楽を「都市の二胡音楽」と呼んでいるのです。
王憓(レイ・ウォン)氏の「都市の二胡音楽」の「清・淡・雅」とは美しさの中に力強さがあり、一種の表現しがたい美感を与えてくれます。ある精神科医は、王憓(レイ・ウォン)の二胡音楽はまるで「心のマッサージ」のようで、音楽療法的効果があると言っています。
王憓(レイ・ウォン)氏が作り上げた二胡音楽を「都市の二胡音楽」と呼ぶのには、先に述べた特徴以外にも、「都市文化(アーバンカルチャー)」」という概念に依拠しつけられてします。「都市文化」は社会学の概念の1つで、世界各国に専門家がいて研究されています。「都市文学」「都市音楽」などがその研究範囲です。「都市文化」の意味するところは、広義では「都市の発展の過程で生み出される物質的財産と精神的財産の総計」ということで、「都市の二胡音楽」も自然とその中に含まれます。「都市の二胡音楽」は「都市音楽」に属すと考えられ、「都市文化」はその国の文化的レベルを反映し、国民に対しても指導的な働きがあります。
王憓(レイ・ウォン)氏の音楽上の革新は彼が育った環境や、受けた教育と切り離して考えることはできません。彼は父親(現代二胡の大家・音楽教育家でもある王国潼(ワンクオトン)氏の指導の下、3歳の時、二胡に初めて触れ、5歳で正規の音楽教育を受け、その後中央音楽学院付属小・中・高校を受験して入り、また父親の指導の下、その自慢の教え子趙寒陽(チャオハンヤン)氏に指導を受けると同時に劉明源(リュウミンユアン)氏などの大物演奏家たちについて様々な民族楽器を習い、また有名な指揮者徐新(シーシン)氏や、夏飛雲(シアフェイユン)氏について指揮を学びました。
90年代居を香港に移し、香港演芸学院のスカラーシップを得ました。飛び抜けた専門技術と学業成績のため、在学期間にすでに胡弓の授業も担当し、二胡、墜胡、板胡などを教えました。学びながら教育に従事すると同時に、各流派、それぞれのスタイルの違う音楽に積極的に触れました。こうした特別な学習と仕事の経験が、彼の音楽スタイルの追求や思考方法に大きな作用を及ぼしました。
王憓(レイ・ウォン)氏の芸術的成果は次の3つの面に現れています。
1.二胡の演奏と教授。彼の二胡芸術は、正確で、努力を惜しまず、教養が豊であることです。つまり、内外功(内功は音楽の教養と芸術的視野を指し、外功とは具体的な技能を指します)がともに備わっており、父の胡弓芸術の特色を継承している上に、また彼独自の個性と特色を有し、そして多くの二胡教材も出版しています。
2.多作の作曲家であること。彼の作った二胡の楽曲はすでに200曲以上に及ぶだけではなく、その作品は数多くの賞を受賞し、人々に愛されています。
3.中央交響楽団や北京愛楽民族管弦楽団などの一流の楽団を指揮した経験をもち、有名な演奏家とレコード録音もしたことがあり、その才能は群を抜き、「二胡王子」や「音楽才子」といった栄誉ある呼び名も得ています。正式の高水準な教育を受けたことで、科学的で、合理的な知識を確立し、加えて、本人のたゆまぬ努力と、その個性と性格の良さにより、音楽上の革新も自然となしえたのです。
今の時代、新しい音楽形態または音楽スタイルの出現は、往々にして、その出発点が高く、制作のサイクルは短いため、人々がすぐに新しい芸術がもたらす楽しみを享受できることに起因しています。王憓(レイ・ウォン)氏の「都市の二胡音楽」は1つの新しい音楽、新しいスタイルとして、私たちの音楽生活に着実に入り込んですでに何年もたっています。王憓(レイ・ウォン)氏が私たちのためにより多くのより素晴らしい「都市の二胡音楽」を生み出してくれることを期待しています。
王国潼(ワンクオトン)
1974年10月、私は中央楽団と共演するために日本に行った後、休暇を利用して2歳の息子のために鉄の筒でおもちゃの二胡を作って、遊びながら覚えることができるようにしました。2年後、息子は正式な教育を受けはじめ、6歳の時、北京児童文芸フェスティバルで「良宵」優秀賞を受賞しました。小学校4年生の時、中央音楽院付属小学校に入学し、私の指導の下自慢の教え子である趙寒陽(チャオハンヤン)に教えを受けました。当時、息子は劉天华(リュウテンホア)氏の二胡の楽曲に大変な興味を示し、「苦悶之謳(苦悶の歌)」を演奏し好評を得たこともあります。また二胡を学ぶと同時に、私は彼のほかのさまざまな弦楽器をマスターさせるため、前後して、胡弓の大家劉明源(リュウミンユアン)氏などの多くの専門家について板胡・墜胡・擂琴・京胡と言った楽器を学ばせました。そのおかげで民族民間音楽の素養も豊かになり、彼のその後の二胡の演奏や教育、創作の基礎固めとなりました。
1990年、王憓(レイ・ウォン)は香港演芸学院のスカラーシップを得ました。演芸学院で学び、教えるという過程で、各界の音楽家や 歌手と共演し、流行音楽や、ジャズなどにも幅広く接し、芸術的な視野を広げることができました。彼は胡弓の伝統音楽のスタイルを継承しながら多元的な音楽の基礎を吸収した上で、斬新な芸術の道を切り開き、独自のアートスタイルを確立していきました。
彼は二胡の楽曲の創作上では私の影響を受け、子どもの頃から音楽創作が好きでした。1990年代から、私は息子と一緒に大量の二胡の懐かしの名曲や小品をアレンジし、人民音楽出版社・上海音楽出版社・北京日報出版社などから次々と『二胡金曲集』(上中下巻450曲)、『二胡流行金曲150曲』、『二胡小品100曲』、『二胡入門』(上下巻400曲)、『二胡経典名曲(二胡の古典的名曲)――広東音楽篇』として出版しました。これらの書籍は香港の二胡芸術センターでの二胡教育に豊富な教材を提供しただけではなく、同時に国内外の二胡教材としても積極的に貢献することとなりました。
王憓(レイ・ウォン)は私の、作品の旋律性やスタイル、聞きやすさを重視するという創作理念に賛同していました。現在彼は200曲近くの二胡の楽曲を生み出していますが、彼の二胡のオリジナル作品はそのスタイルが洗練されていてみずみずしく、旋律は優美で人を引き付ける魅力があります。30年近く、私と息子は演奏や教育活動の中でそれぞれが自分の作った二胡の楽曲を採用していますが、そのスタイルはそれぞれで違い、特色も違いますが、国内外から愛され高い評価を得ています。
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