香港と中国本土の政治・経済・社会ニュースを日本語で速報します
哲学エッセイ 風土

風土と歴史的建物

先日、横浜市金沢区に住むスイス人研究者を訪ねたところ、近所にある能見堂緑地を案内してくれた。かつては多くの人々が、鎌倉の外港としての金沢と鎌倉の間を行き来していた。例えば、明の滅亡後に長崎へ亡命していた心越禅師(1639-1696)は、能見堂からの眺望に感激し、故郷の「瀟湘八景」になぞらえて八か所の勝景を漢詩に詠んだ。これらの漢詩は能見堂に奉納され、歌人の京極高門(1658-1721)がそれに和して八景の和歌を詠んだ。これらの和歌は、後に歌川広重(1797-1858)による「金沢八景」の連作にも書き込まれている。かつて多くの参詣者でにぎわった能見堂は、廃仏毀釈などの影響で次第に衰え、明治2年の火災で焼失してしまった。

pastedGraphic_1.png能見堂緑地ハイキングコースにあった「金沢八景と能見堂」の看板

 

新学期早々、鎌倉を二度訪れる機会に恵まれた。一度目は、鎌倉市中央図書館で開催された「松坡文庫研究会第12回講演会『田辺三兄弟――元・至・定』」に参加するためである。「松坡文庫」とは、同図書館が所蔵する田辺新之助(1862-1944、号は松坡)の蔵書である。田辺新之助は東京開成中学校校長を務め、逗子開成中学校・高等学校の前身である第二開成学校や、鎌倉女学院中学校・高等学校の前身である鎌倉女学校の創設者であり、漢詩人でもあった。講師の袴田潤一(松坡文庫研究会代表)によれば、長男の元と次男の至はそれぞれ日本を代表する哲学者と洋画家であるが、三男の定はあまり知られていない。しかし定は、ブラジル移民船の監督助手を務め、後に日伯交流に貢献した人物であった。ここでは、配布資料から松坡の一首を引用しておこう。なお、頸聯(八句構成の第5句・第6句)に詠まれた風光は、陽光に輝く湘南の海と雪化粧の富士山であり、鎌倉の風土を見事に表現している。

春属今茲一口加 眷属今茲に一口加わる

不歎萍迹尚天涯 落迹尚お天涯にあるを敷かず

常欣偕老雙無恙 常に借に老い双びて恙なきを欣び

已見三兒各作家 已に三児各々家を作すを見る

滄海層瀾紅浴日 滄海の層瀾日を浴びて紅なり

高峰積雪豔欺花 高峰の積雪花かと欺いて豔なり

南榮貪愋儘微醉 南栄愋を貪り微酔を侭す

心上春風瞼上霞 心上に春風瞼上霞む

二度目は、慶應義塾大学観想研究センターの「Knowing at the Boundary」研究会に参加するためである。観想(contemplation)とは、ラテン語の「contemplatio」に由来し、本来は聖なる場所の区画を見定めることを意味する。そこから転じて、身心を観察し、そこにある安らぎや調和とつながる営みを指す。鎌倉山では、自然豊かな夫婦池公園を案内してもらった。江戸時代に灌漑用水として掘られた池に堤が築かれ、上下二つの池が対になっていることから「夫婦池」と呼ばれるようになった。しかしその奥には、太平洋戦争中に使われた防空壕が残っている。同じ研究会に参加していたイスラエル出身の研究者は、来日前に空襲警報を受け、防空壕に避難したばかりだという。

pastedGraphic_2.png鎌倉山の夫婦池公園

 

風土とは、人の手が加わっていない自然だけでなく、その土地に積み重なった文化や歴史をも含むものである。鎌倉では由比ガ浜二丁目にある篠田邸(旧村田邸)に宿泊したが、この建物は昭和8年に横浜興信銀行(現横浜銀行)の常務取締役であった村田繁太氏の邸宅の増築部分として建てられ、昭和36年に国文学者の篠田太郎氏の住まいとなった。昭和57年には敷地内の和風平屋が火災で全焼し、洋館も一部被災した。当初は洋館の取り壊しも検討されたが、ハーフティンバー様式に親しんできた住民の要望により復旧され、現在は景観重要建築物等に指定されており、宿泊施設としてだけでなく、カフェとしても利用されている。

鎌倉市浄明寺には、「力囲軒」という古民家がある。石川県加賀市で解体寸前だった家屋を「市中の山居」として鎌倉に移築したが、2014年の火災で焼失した。その後、焼け残った本棚や障子の跡に「アート」という新たな価値が見いだされ、現在は「Black Cube」として、経営者が問いの立て方や美意識、コミュニケーションを磨く場へと生まれ変わっている。

『風土』の著者として知られる和辻哲郎(1889-1960)は鎌倉には住んでいなかったが、東京都練馬区の自宅は昭和36年に、いわゆる「日本映画の父・母」と称される川喜多長政・かしこ夫妻によって鎌倉に移築され、海外から訪れる映画監督や映画スターを迎える場として用いられた。この旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)は景観重要建造物に指定されており、不定期に公開されている。

稲村ヶ崎には、西田幾多郎(1870-1945)が晩年を過ごした旧邸があり、「学習院西田幾多郎博士記念館(寸心荘)」として教育・研究・思索の場に活用されてきた。しかし、2025年9月5日に発生した集中豪雨による土砂崩れで一部が損壊し、現在は一時休館となっている。

風土は当たり前に存在するものではなく、自然や人間の営みによって変化しうるものである。

pastedGraphic_3.png篠田邸(旧村田邸)

 

【筆者紹介】

pastedGraphic_4.png

張 政遠
香港生まれ香港育ち。東北大学に留学・博士号を取得。専門は日本哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。東アジア教養学の理論や演習などの授業を担当。著書に『西田幾多郎』(単著)、『日本哲学の多様性』(共編著)など。趣味は「巡礼」すること。

今なら無料 日刊香港ポストの購読はこちらから
香港メールニュースのご登録

日刊香港ポストは月曜から金曜まで配信しています。ウェブ版に掲載されないニュースも掲載しています。時差ゼロで香港や中国各地の現地ニュースをくまなくチェックできます。購読は無料です。登録はこちらから